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すみれちゃん

  • アディムクティ
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

                                                             2025.12.9(火)



私が保育園に通っている頃の記憶なので、おそらく4歳頃の話です。


私の髪の毛はいつも母が適当に短く切っていましたし、服は兄のお下がりを着ていたし、背も高かったし、わんぱくだったので、見た目は男の子のようだったと思います。


名前の「のりよ」も、よく「のりお」と聞き間違えられました。

新しく友達になった子に、「ずっと男の子だと思っていた」と言われたこともありました。


そんな私も、やっぱり内面は女の子だったのでしょう。

女の子が主人公のアニメが好きでした。


当時、私は「魔法使いサリー」というアニメを見ていました。

年代がバレてしまいますね🤭

登場人物にとても好きな人物「すみれちゃん」がいました。


ロングヘアがよく似合い、記憶ではブルーか緑の洋服を着ていました。


いつも落ち着いていて、優しくて、どんな困った問題が起きても、サリーちゃんの力や仲間を信じている・・・。

可愛らしいのに芯の強そうな女の子・・・に私の小さなハートがズキューンと射抜かれました。


憧れが強すぎて、私は「すみれちゃん」になりたいと思いました。


ある朝、母に「名前をすみれに変えてほしい。」とねだりました。


母は、ペンを持ってきて園服の名札の私の名前を消すように、大胆にも黒の二重線を引いて、右側の余白に「すみれ」と大きな字で書きました。

筆で書いたかペンで書いたか忘れてしまいましたが、後から消せるような感じではありませんでした。


私は、母があまりにもあっさり、そのようにしたので、「名前って変えられるんだ。」と思い込みました。


その時の嬉しい気持ちは今でも覚えています。


今日から私は「すみれ」ちゃん。

嬉しいな。

友達も先生もみんなびっくりするかなぁ。

今日から「すみれちゃん」と言われるんだ。

わぁわぁドキドキするなぁ・・・

でも、ちょっと恥ずかしいなぁ・・・


そんな嬉しさとドキドキした思いで歩き、保育園がだんだん近づいてきました。


近づくにつれ、だんだん怖くなってきました。


保育園の入り口に5メートルくらいの道があり、そこにいつも年長さんの女の子たちが10人くらいで遊んでいました。

入ってくる下級生をからかったりいじめたりしました。

その光景は私にとってはとても恐ろしいものでした。


その道を難なく通り過ぎることができるかどうかが、最重要課題で、賭けで、突破口でした。


組の先生はとても優しい「まさこ先生」という先生。

その先生のところまでなんとか行きさえすれば、安心安全の1日が過ごせます。


あんなに嬉しい気分で家を出たのに、門の直前でそんな気分は吹っ飛んでいました。

絶対いじめられると予測してか、咄嗟に胸の名札を手で隠しました。

いつもと違う服や持ち物など、どんな小さなこともからかいを受けるネタになってしまいます。


今日の私こそ、いじめられないという確率は限りなく0に近い・・・気づくのが遅すぎた自分。

びくびくしながら入って行きました。


すると案の定、いつもと違う私の言動(手で必死に名札を隠している)に目をつけた上級生の一人が、私の精一杯名札を隠してつかんでいる手の力を、遥かに上回る力で無理やりにほどきました。

その時の強い力を、今でも覚えています。


そして、

「何!?すみれって!?名前って変えちゃダメなんだよ。」


と言いながら、鬼の首でも取ったような勢いで、即座に私を連行し😖、「この子、悪いことをしているよ」と言いつけながら先生の前に私を差し出すのでした。


残念ながら、私の記憶はここで終わっています。


泣きわめいていたのか、

どの先生にどんな対応をしてもらったのか、

その1日をどうやり過ごしたか、

名前をその後どうしたのか、

思い出したくても思い出せません。


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先日、一般社団法人「koenowa∞声の輪」代表の大石寿子さんと共催で、

大人向けワークショップ「『子どもの権利』って?なんでやねん!」

をアディムクティで開催をしました。




ワークショップでは、「自分の子どもの頃を色で表すと?」各々一枚選んでいただき、その理由をシェアしました。
ワークショップでは、「自分の子どもの頃を色で表すと?」各々一枚選んでいただき、その理由をシェアしました。



大石さんは歯科衛生士として、児童養護施設の歯磨き指導、磨き残しケアのボランティア活動をする中で、子どもの声を代弁するサポーターになりたい、またそういう支援の輪を広げたいという思いが膨らみ、一般社団法人を立ち上げました。


大石さんの思いを聞いた時、私の心は動きました。

仲間になりたい、応援したい、そんな気持ちになりました。


支援の輪を広げる草の根的な活動を、一緒にやっていくことぐらいしか、今の私には思いつきません。


でもそんな小さな気持ちでも、大石さんは歓迎し受け入れてくださいました。


ワークショップの企画も一緒に考えました。

二人で考えた時、「大人になった今、自分の子ども時代を振り返り、あの頃言いたくても言えなかったことってなんだった?を考えてみるのはどうだろうか」で一致しました。


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この機会に、「すみれちゃん」事件のことを考えてみました。


もしあの時、周りの大人に、

どんなことをしてもらったら

よかった?

嬉しかった?

安心できた?

と自分に問いかけてみました。


親から「どんな願いを持ってこの名前にしたのか?」をわかりやすく教えてもらえていたらどうだったかな?

もしかしたら、「すみれ」もいいけど、私の名前がやっぱり一番いい!と、誇らしく思えたかな?


名前を変えて!と私がせがんだ時に、名前を変えることはできないよ、と優しくわかりやすく愛を込めて教えてもらいたかったな・・・。


もし、私の思いを大事にする意味で、演技で名前を変えてくれたとしても、その経緯を担任の先生にこっそり伝えてもらい、気が済むまで「すみれちゃん」という名前で過ごさせてくれるような、おおらかな対応をしてくれたらもっと嬉しかったよね?

そうされていたら、私も子どもにおおらかに接する大人になれていたかな?


保育園の入り口を通る時に下級生をいじめている年長さんを、大人が注意して、いじめを許さない正義の行動を見せていてくれたら、下級生は安心して登園できたよね。そして自分も優しいお姉さんになれたよね?


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名前に関して・・・生まれた時に、親は子供が大切で可愛くて、希望や夢や期待をこめて名前を決めるのがほとんどだと思いますが、よく、「自分の初恋の人の名前にした」とか、「好きな芸能人、好きな有名人の名前にした」とか、ちょっとしたノリのような感じで決める親もいます。


子供が大きくなって、名前の由来を聞いてがっかりしたり、悲しくなったり、呆れてしまうこともあると思います。


以前、実際そのような方がいました。その方は、父親が雑誌をペラペラとめくって、その中から選んだことを知り、がっかりしていました。


例えば18歳になったら自分で自分の名前を変えてもいいという権利があったらどうでしょう?

そんなこともイメージしてみました。

自分の人生を自分自身でこういう風に生きていこう、と思えていいかもしれないと思いました。


夫婦別姓の議論は最近話題になっていますが、それは大人の事情や都合や嗜好で「声」を発する人がいて、それを受けて大人同士が議論していることだと思います。


しかし、子どもも同じように、さまざまな議論の輪の中に入れたい。


思ってもみない要望、想像すらできない提案、さらに丁寧に聞きとってくれる大人がいたらもっともっと子どもの権利は充実し、保障され、守られ、のびのびと楽しく自分らしさを発揮して暮らせると思いました。


「声の輪」の活動に少しだけ関わって参加しただけですが、そんな忘れてかけていたことに意識が向く私になりました。

 
 
 

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