読書ノート44
- アディムクティ
- 9月24日
- 読了時間: 6分
更新日:9月27日
「好き」を言語化する技術
三宅 香帆 著
2025.9.24(水)
本のタイトルの下にサブタイトルのような言葉がありました。
それがこれです↓
推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい」しかでてこない
面白そう、と思って手に取ったのがこの本との出会いでした。
香帆さん曰く、
「推しを語ることは、自分の人生を語ること」
だそうで、自分の言葉で、自分の好きなものを語る、それによって、自分が自分に対して信頼できる「好き」を作ることができると述べています。
他人の言葉で自分の「好き」を表現してしまうと、時の流れとともに、自分の中にあったはずの「好き」は変化してしまい、または時として泡のように消えてしまう。
確かに最初、自分の「好き」はあったはず。
それなのに、他の人の書いている優れた「好き」の言語化に出会ってしまったがために、自分のそれが弱まった錯覚を起こしてしまったことが私にもありました。
私の「好き」は、誰とも比較できない絶対的なものだったはずなのに、私と同じ対象への「好き」の他の言語化によって、熱量が自分より上だとか下だとか、無意識の比較が始まり、自分のポジションを“だいたいこのあたり”・・・としてしまうのは、確かに何かがおかしい。
おかしいと思うからそれをやめたい。
でもどうやって?
そんな風に思ったことがありました。
フランス語に「クリシェ」と言う言葉があるそうです。
意味は、
・ありきたりなシチュエーション
・ありきたりな台詞
・ありきたりな言葉
だそうです。
日本語にはこれと同じ意味の言葉がないそうです。
推しを語る時に、クリシェと言う敵に負けないことが重要で、ちゃんと自分だけの感情、考え、印象、思考を言葉にすることが大事なことだと訴えています。
「泣ける」
「やばい」
「考えさせられた」
などの常套句が敵になる、と香帆さんは述べています。
このありきたりな言葉を使ってばかりいると自分の思考が停止してしまうと言うのです。
誰もが使う言葉や、流行りのワードで「推しへの好き」を表現することができたとしましょう。
そうすれば、その表現は、誰からも批判されないで済みますし、
安心・安全で責任も持たなくていいので楽です。
特に今の時代はそうでしょう。
しかしその中にいつもいてしまったとしたらどうでしょう。
「誰とも違う自分のユニークさ」
「好きだと感じている自分自身への信頼」
も、借り物の言葉と一緒に失われてしまうかも知れません。
しかし、香帆さんが述べているように「推しを語ることは、自分の人生を語ること」だとしたら?
ちょっと立ち止まってみたい気持ちになります。
この本の最初は、読者に「言語化」という問題について問いかけ、警鐘を鳴らしていきます。
そして、その後、どうしたら「好き」を自分の言葉で語れるようになるか、の技術をわかりやすく展開していきます。
「推しへの好き」について語る、または文章で書くとき、同じ「推し」のファンが投稿しているSNSや表現を絶対に見ないことがポイントだと述べています。
えー!?
でも私にはそんな語彙力がないから、誰かの文章を参考にしてみたいよー!!
という気持ちが起こってきます。
ですが、香帆さんは、自分の持ち合わせている語彙力がたとえ少なかろうと、足りなかろうと、それは全く関係ないと言い切っています。
とにかく、自分の中から絞り出す作業が必要!だと。
そして、何度も読み返して、自分の推しに対する「好き」の気持ちと、自分の言語化が近づいてきているのかを確認しながら何度も何度も修正してみる。
・・・そうすると、思いと言葉がピタッと合って完成度はどんどん高くなって、結果、自分についての理解も深まっていくそうです。
語彙力は関係ないのか・・・それなら自分にもできるかも知れない、とホッとしてきます。
こんな文章がありました。
🖋️自分の推しへの感想をもやもやした状態のまま置いておくのって、そわそわして落ち着きませんよね。他人にバシッと言語化してもらいたい!
そんなふうに思う気持ちもよくわかります。
これについて、谷川嘉浩さんという哲学者が「ネガティブ・ケイパビリティ」と言う言葉を使って説明しています。
ネガティブ・ケイパビリティとはなにかといえば、「もやもやを抱えておく力」のこと。すぐに白黒つけずに、もやもやをじっくり抱えたままにすることで、あなたが本当に感じていることや、考えるべきことがわかってくるのです。
(略)
私は「推し」についても「もやもやを抱えておく力」は重要だと感じています。🖋️
私は、この本を読み終えて、自分も「好き」の言語化に挑戦したくなりました。
🖋️数少ない好きな理由を言語化して、保存することに意味があります。(略)いつか好きじゃなくなっても、「ああ、たしかにこの時期、私はこういうものが好きだったな」と振り返ることも楽しいことです🖋️
とありました。
あの時、こんなことに夢中になっていたんだんなぁ、と振り返った時、今の私にどんな気持ちが湧いてくるのか。
「私の“好き”はすぐ生まれて、すぐ消えて、まるで泡のようだなぁ。
自分の“好き”は当てにならない。
結局私って気分家なだけ。
自分で自分に呆れてしまうよ。
あんなに夢中になっていたことも今思えばなんだか恥ずかしいし、消えてしまいたいくらい。」
となるか、
「あの時、それが大好きだったんだよね。
好きになったことで、あの時期はとても楽しかったし、充実していたよね。
今は好きの気持ちがなくなってしまったけれど、心の奥には、そして細胞の中にはきっと残っている。
そしてそのおかげで今の自分があるよね。
あの頃の推しに、ありがとうって言いたい。
時間も何もかも忘れるくらい夢中になっていた私にも、なかなかやるじゃん!って言いたい。」
となるか。
やっぱり違う・・・と思う。
過去ではなく、「今」が違ってくる。
否定より肯定の方が断然嬉しい。
空洞より中身が詰まっている方が豊かな気持ちになる。
他人の人生を生きてしまうのではなく、自分の人生をちゃんと生きたい。
そのための一つとして、私の表現している「言葉」をもう一度見直してみたい。
自分の思いを伝える「言葉」を、自分の中から絞り出してみよう。
絞り出している間だけでいい、他人のSNSやAIをいったん遮断してやり通してみたい。
そんな気持ちになりました。
この本は「好きの言語化」を勧めているが、これは単に言葉を持て余した戯れのような薄い内容ではなく、生き方そのものに関わってくる大切なことを「言葉」に特化して展開している本だとわかりました。



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