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一緒に成長20

  • アディムクティ
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

                                                             2025.10.23(木)


このブログは、ある相談者様とのカウンセリングで私が思ったことを書きたいと思います。


その相談者様のZさんには了承をいただいております。



Zさんは解離性人格障害からくる鬱症状で苦しんでおられ、3年前からカウンセリングに通っていらっしゃいます。


先日は21回目のカウンセリングでした。


Zさんは4人きょうだいの長女として生まれ、幼少期から両親から理不尽な扱いを受けてこられました。


お父様は、Zさんに対して、ある時はとても優しい態度で、そしてある時は厳しく暴力的な態度で接してきました。


お母様は、そんなお父様からZさんを守ることをせずに、見てみぬふりをしたり、時にはZさんには理解できない歪んだ価値観を押し付けてきたりしました。


Zさんは家の中で心から安心して暮らすことができず、度重なる混乱やストレスやダメージを受け、自分が保てなくなり、とうとうたくさんの人格が次々と形成されていきました。


遡って思い出すと、すでに物心がついた頃には他の人格が現れていたと言います。


今までカウンセリングを繰り返し、一緒に考えたり、こうしてみたらどうかと提案をしたりしてきましたが、先日のカウンセリングでは、Zさんの根底にある根の深い絶望に触れて、何も言葉が出てきませんでした。


「絶望」と一言で表現してしまいましたが、その言葉も違っているような気がしますし、一言で言ってしまうこと自体もどこか違っている気がします。


カウンセリングの最中で私は、


どういう捉え方ができれば、

この方は元気になれるのだろうか、

希望を持てるのだろうか、

安心して暮らせるようになるのだろうか、

回復に向かうのだろうか・・・と頭がうるさくしゃべってきます。


しかし、Zさんの場合は、元気・希望・安心・回復というものがどういうものなのか?を、体験したことがないので分かりづらいと言います。


そんな切実な思いを訴えているZさんの目から涙がこぼれていました。


そして最近は、毎日をまるで「無」になったかのように淡々と過ごしているとおっしゃいました。



Zさんに必要なものは、今までのカウンセリングの中にはないのでは?

という思いが私を強く押してきました。


Zさんのことを少し理解できたような気がしたり、共感してこちらも涙が溢れてきたり、こうしていけばいい方向に向かうかも知れないとアイディアが浮かんできたり、・・・過去のカウンセリングで重ね積み上げたもの全てを一度やめてみる、そして疑ってみる必要性がある、という思いがしてきました。


「もしかしたらZさんのことを私は本当は理解していなかったのではないだろうか?」


そう思うと私の胸の中はぎゅーっと苦しくなってきます。


しかし、理解できていなかったんだという事実に耐えながら、じっとそこに居ながら、観察して本質に辿り着きたい思いが新たに芽生えました。21回目にして初めて・・・。


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Zさんのような苦しみを背負った方に対し、未熟な私がカウンセリングできるのだろうか、請け負っても大丈夫なんだろうか、と3年前にはずいぶん迷いました。


信頼するスーパーバイザーに相談した際に、「力をつけてからカウンセリングをするのではなく、クライアントと一緒に成長して力をつけていくことが大切だよ。」とのアドバイスをいただきました。


Zさんの訴えと涙に接し、私もカウンセラーとして力をつけたい、心を磨きたい、と思う気持ちが一層強くなった今回のカウンセリングでした。

 
 
 

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