「感じるオープンダイアローグ」
著者 森川すいめい
2025.1.10(金)
著者の森川すいめい氏について
1973年、東京都生まれ。
精神科医、鍼灸師。
2つのクリニックで訪問診療等を行う。
2003年にホームレス状態にある人を支援するNPO法人「TENOHASHI(てのはし)」を立ち上げ、現在も理事長として活動中。(略)
オープンダイアローグのトレーナー資格を取得した2名のうちの1人。(略)
この本の「はじめに」のところを読むと、このように書かれていました。
✒️オープンダイアローグの「オープン」とは何か?
それはクライアントである本人やご家族などの関係者に対して開かれているという意味だ。
それまでの精神医療では、本人の情報が本人たちにクローズにされていたり、医療者が治療方針を本人のいないスタッフルームで話し合って決めたりしていたが、ケロプダス病院はそういうことをなしにした。
(略)
オープンダイアローグの実践を通して感じるのは、既存の医療や支援の現場に、対話がもっとあったほうがいいということである。
「対等の関係性の中で話す」
「その人のいないところで、その人のことを話さない」
「全員の声が大切にされる」
「チームで対話する」など。
(略)
複数の第三者が、困難に直面した人たちの輪の中に入っていき、対話をする
対話の場を作ろうとするスタッフたちは、その場にいる全員に親身に寄り添いながら、中立
の立場で、ときには自分の考えを話す。
1回の対話の時間は60分で、困り事があればすぐに対話の場が開かれ、必要なだけ対話を繰り返す。
対話は、そこに集まった人たちで、60分の対話の場をどのように使っていくかを話し合うことから始まる。
そうできればいいのだけれど、どうやったらそれを実現できるのか?
第一章ではオープンダイアローグが求められる背景、
第二章はケロプダス病院で見聞きしたこと、
第三章は対話の実践者になるためのトレーニングの様子、
第四章はオープンダイアローグの実践例を紹介し、
第五章ではオープンダイアローグに関してよく寄せられる質問について応答した。
そして、これらは一貫して、オープンダイアローグを知識としてではなく、感覚的に捉えられることを目指した。🖊️
これを読んで中身を読みたくなりました😱
新しく自由な発想でなければ打破できない壁・・・、どの世界にもあるはず・・・と思います。
日本の心療内科では、5分くらいクライアントの状況を聞いてから、その症状を抑える薬を処方する、という流れが多いと聞きます。
他の国に目を向けた時、どうでしょう。
フィンランドのケロプダス病院では、精神科医とクライアントが1対1で診療を行うことをやめた、と書かれていました。
対話の場に複数の人たちがいることによって、事態を多面的に理解することができるようになり、そうすることで困難を解消するためのアイディアや道筋がいくつもあることに気づいていったそうです。
「オープン」とは「開かれた」と訳されます。
ここでは、密室における1対1(私のおこなっているカウンセリングはそれです)の対話ではありません。
困難を抱えているクライアントと、クライアントの家族、精神科医、看護師、心理士、本人にとって重要な人物など、複数人が対話の場に居合わせて、互いの気持ちや考えを聴いて、自分の気持ちや考えを発言するを繰り返していきます。
どうして薬物治療で改善されなかった人も、これによって回復していくのか不思議といえば不思議です。
ですが実際のエビデンスを知った医師や心理士からの注目が高まっています。
この本で展開される「オープンダイアローグ」を知った時、2人だけの対話を超えた何かがあることを知りました。
新しい「可能性」の光を見出せた思いがして嬉しくなりました。
「その人のいないところで、その人のことを話さない」
という言葉にも、何度かたちどまりました。
困難なものや生きづらさを抱えた人たちを支える、病院や支援団体では、あまり重要視されていないと思いました。
なぜ「その人のいないところで、その人のことを話さない」ことが重要なのか、
そして、そのようなことが可能なのか、
可能としたら、具体的にどのようなプロセスを経て、どのような効果が期待でき、どう回復に向かうことができるのか、
知りたくなっている自分がいました。
✒️「その人のいないところで、その人のことを話さない」と同時に決められた。
「1対1で会わない」という決まりには、医療者と患者さんの上下関係をなくすということが、目的の一つとしてあった。
対話は、対等な関係でなければ実現しない。
と同時にそれは、医療者の間でも上下関係をなくす試みだった。
あるスタッフが、
「私の母は看護師で、当時のスタッフの一人でした」と、母親から聞いた話をしてくれた。
「1984年の8月27日以降、患者さんやど家族との対話の場に、看護師も参加することになりました。
最初はとても緊張した、と母は話していました。
その場には医師がいて、心理士がいて。それまでは、看護師に意見を求められるようなことはなかっ
たそうです。
それが突然、『あなたはどう思う?』と医師や心理士から聞かれるようになったのです。
母は、最初は何も話せなかったと言っていました」
しかし、すぐに看護師たちは話をし始める。
「対話する中で、看護師たちは気づいていきました。
医学を知っているのは医師。
心理学を知っているのは心理士。
だけど、患者さんとたくさん話しているのは看護師。
私たちが、いちばん患者さんのことを知っている」
対話の場は、全員が対等で初めて成り立つ。医療者の間に上下関係があることは、対話を阻害する。
誰がいちばん偉くて、誰が意思決定する力を持つのか、そんな序列は排除されなければならなかった。
ケロプダス病院は、医療者と患者・家族の間の上下関係だけでなく、医療者間の上下関係もなくした。🖊️
当人と支援者という関係には、
どこか「弱」と「強」の関係性や、
「上」と「下」の関係性、
「支援者」と「被支援者」
という隔たりのある関係性があるような気がして、それがいつも気に掛かっていました。
両者の違いが起こりやすい場面とは、もしかしたら「困難を抱えている当人」がいない場面での周囲の在り方なのかもしれません。
当人の特徴や心理を、専門家やスタッフが分析し、それを取り巻く人たちの中でシェアされ支持し合い、「次はこう支援しよう」などと決めていくことが普通です。
しかし、ケロプダス病院は、そこにこそ問題があるのではないか、と見立てました。
本人の生き方・選択を、本人抜きで周囲が決定していくことになりかねず、その事実が本人を回復から遠のかせてしまう・・・と考えたのです。
これは斬新的だと思いました。
森川すいめい氏は、オープンダイアローグの7つの原則(実践を調査し、うまくいった事例を集めてなぜうまくいったのか、その要因を抽出し7つに分類した)を、ケロプタス病院から紹介され、それを彼なりに日本語に訳しています。
✒️意味合いが少し変わってしまうようにも思うのだが、私なりに訳してみた。
・すぐに助ける
・本人に関わりのある人たちを招く
・柔軟かつ機動的に
·責務/責任
・心理的な連続性/積み重ね
・不確実な状況の中に留まる/寄り添う/すぐに答えに飛びつかない
・対話主義
ケロブダス病院では、7つの原則について、こう話す。
「これらの意味について、説明しようと思ったら一日では足りません。ここには、たくさんの思いがこもっています。私たちは、この7つの原則の意味を定期的に話し合うようにしています」
7つの原則の意味は、固定されたものではない。
時代やその場にいる人たちによって、柔軟に変化する"不確実な状況の中に関まるとはどういう意味なのか、どうしたらそうなるのか、責務とは何か、対話主義とは何か、そうした話し合いをスタッフ全員で対話的に行うのだという。🖊️
病院で働くすべての人が対話を重ねながら進んでいる・・・そんな映像が私の中に浮かんできました。
以前、斎藤環氏の著書「オープンダイアローグとは何か」を読んだ時も、
斎藤氏の言った、
「対話は手段ではない、それ自体が目的である。治癒は副産物としてやってくる」
を思い出しました。
それを読んだ頃の自分よりも、その言葉の意味を、今の私の方が理解できます。
私自身、日々カウンセリングを重ねていますが、何も助言ができず、目の前の人をスッキリさせられずに落ち込むことがあります。
カウンセラーはアドバイスをする立場ではないことは、十分理解しているつもりですが、何一つ晴れやかにさせてあげられない時には、おそらく人として落ち込んでしまうのです。
しかし、昨年の終わりに、あるクライアントさんがものすごく晴れやかなお顔をしてカウンセリングルームにいらっしゃいました。
その方が最後にこんな言葉を残していかれたのです。
「毎回毎回同じ話ばかりしてきましたよね。本当にすみませんでした。でも、やっと解決できて気持ちが晴れやかになったんです。」
私はとても嬉しくなりました。
「治癒は対話の副産物」という意味を、彼女とのカウンセリングを通して体験させていただいたような思いがしました。
対話の中でカウンセラーが発言した言葉に、解決の糸口があるのではなく、お互いが感じ取ったことを繰り返しでもいいし、同じ内容でもいいから、キャッチボールすること自体に、人間としての喜びや生きている実感が湧くものなのではないだろうか、と思いました。
この本は森川氏がケロプタス病院で学んだ「オープンダイアローグ」の内容と、研修に参加した時にご本人が感じられたことを詳細に書き表されています。
最後にQ & A方式で、さまざまな疑問に答えられています。
その中に私が印象に残ったところがありました。
✒️オープンダイアローグを一般の組織に取り入れるための工夫として、どのようなものがありますか?
理念、実践、トレーニングの3つの軸があると思います。
「その人のいないところで、その人のことを話さない」
「対話を中心に置く」といったものです。
「対話は意味がない」とか「上下関係が大事」と考える人と一緒に働くことはとても大変だ、とケロブダス病院のスタッフも話していました。
実践では、ふだんの組織内の会話や仕事が、対話的にできているかどうかを確認するとよいと思います。
スタップ間の会議では、
「会議に参加している人全員が対等に意見を言える」
「誰かが話しているときは話し切るまで話を止めない」
「相手を打ち負かそうとするような発言をしない」
「相手の考えを理解しようとする」
などのことが大切です。
ひとまず私たちのクリニックでは、「先生」という呼称や役職で呼ばないことにしています。
それだけでもお互いに対等で、一個の人間として尊重できるようになると感じています。
トレーニングには様々なものがあります。
といっても特別なものではなく、
たとえば前述したように誰か一人が話していたら話し切るまで待つ、
相手に反論しようとか、
何か言ってやろうと思いながら聞くのではなくそのまま聞く、
Iメッセージで話す習慣をつけることが、そのままトレーニングになります。
Iメッセージとは何かを簡単に説明すると、自分の考えを自分の考えとして話すことです。
「なぜあなたはそんなことをするのか?」
「そんなことはやめにしたほうがいいのに、なぜしないのか?」
などと自分の考えなのに相手のせいにして言葉にしてしまうことがあると思いますが、それでは対話ではなく対立
につながってしまうでしょう。
「あなたがそうした理由を私は理解したいので教えてほしい」
「私はそれはやめたほうがいいと思う。その理由は〇〇だからなのだけど、しかしあなたもそれをしたい理由があるのだと思うのでそのことを聞きたい」
「私はこうしたほうがいいと思うのだけど、あなたは、そのことに対してどう思うかを聞いてもいい?」
というように、Iメッセージで話すことができれば対話が生まれやすくなるでしょう。
また、スタッフ間の相互理解を深めるために、
たとえば「人生において大切にしていること」をテーマに、4〜5人でグループを組んで、一人ひとりがそれについて話す時間を作ると、話すことや話を聞いてもらうことの価値を体感できると思います。
実際にフィンランドのいくつかの市議会や教育機関などで行われている、対話を取り入れた会議を紹介しましょう。
会議は2回行われます。
1回目は、誰か一人が話しているときは他の人は聞くことに徹する、それを全員行うというものです。
これを2周くらい行います。
自分の話を聞かれ切るという体験と、
相手の話を聞き切るという体験は、
お互いを理解するきっかけになり、これだけでもずいぶん助けになると感じます。
そして翌週、または1ヵ月後に同じメンバーで会議を開きます。
このときは意思決定をするための会議になります。
参加者は、1回目の会議と2回目の会議の間も会話をしています。
すると2回目の会議では、すでにお互いの理解がずいぶん促進されており、意思決定がスムーズになるようです。
たいていは、どちらか片方の意見が採用されるのではなく、お互いの意見が結集されて、よりよい第3の案が生まれているようです。🖊️
こんな経験を私自身してみたいし、それに近いことができる仕事環境であることが嬉しいですし、ワークショップなどの場で積極的に取り入れて小さなサークルから「オープンダイアローグ」を根付かせていきたい、一助を担うことから初めてみたい、そんな思いが湧いてきました。
目を閉じてこの本との出会いを感じてみました。
対話は人間が欲すること、
対話は人間性をとりもどす力があること、
対話が目的で、治癒は副産物であること、
対話には、こんなにすごい力があるということを、証明したい自分・・・。
分断と戦争の絶えない今だからこそ・・・、
対話の力を信じたい自分の気持ちが、よりはっきりしてきたよね・・・。
森川すいめい氏、斎藤環氏、ケロプタス病院で働く人々の輪の中に居る自分を想像していました。
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