「少女パレアナ」
エレナ・ポーター著
この本が大好きで何度も読んでしまいます。
読む毎、違う味わい方ができるのもこの本の魅力だと感じます。
この本の物語の主人公は「パレアナ」という名前の少女です。
パレアナは幼い頃に母親を亡くし、11歳の時に父親を亡くします。
その後、母親の妹(パレアナの叔母)に引き取られます。
物語はそこから始まります。
パレアナは父親と、よくゲームをして遊びました。
ゲームというのは「喜びを見つけるゲーム」です。
喜べる状況で喜ぶことは誰でもできます。
しかし、ゲームとは難しい障害や強い敵がある方が燃えるもの・・・。
父親は、「喜ぶことが難しければ難しいほど、このゲームはおもしろい。」
ということを、パレアナに体験を通して教えたのでした。
その父亡き後、パレアナを引き取ることになった叔母は、気難しい性質でした。
恋愛に失敗したことからずっと独身を貫き、誰にも心を開かず意固地になっていたのですが、
本当はとても優しく素敵な女性なのでした。
パレアナはその叔母さんの石のように頑なになった心を、次第にほぐしていきます。
それは「喜びを見つけるゲーム」を楽しみ、信じ、朗らかに生きていくパレアナでしかできないことでした。
パレアナの、「喜びを見つけるゲーム」をちょっと紹介しましょう。
11歳のパレアナを引き取りにいくのが嫌だった叔母は、お手伝いさんに約束の場所まで行かせます。
パレアナは、叔母との出会いを楽しみにしていましたが、迎えにきたのが違う人だと知ると、ちょっと黙ってしましますが、すぐ元気を取り戻しこう言います。
「あたしね、叔母さんが迎えにきてくださらなかったことがうれしいの。
だって、まだこのあと叔母さんに会う楽しみがあって、あなたとはもう会っているんですものね。」
「楽しみがまだ後から訪れる」ということ、
「あなたとの新しい出会いを今得られた」ということ、
こんな風に喜びを見つけだします。
このお手伝いさんも、次第にパレアナに感化されて「喜びを見つける」ことが上手くなります。
最初にパレアナから教えてもらった「喜び見つけ」のきっかけは、
「月曜日の朝が嫌いでたまらない・・」というネガティブな愚痴をパレアナにこぼした時でした。
するとパレアナはこう言います。
「まあ、とにかくナンシー(お手伝いさんの名前)や、1週間のどの日より月曜日の朝、喜んでいいと思うわ。
だって、次の月曜日が来るまでに、まる1週間あるんだもの」と。
ナンシーは、後にこのエピソードのことをこう振り返っています。
「とにかく、そのことを思い出す度に笑いたくなりますものね。それに笑うってことは役に立ちますの・・・たちますとも!」
こんな風に、どんな人の愚痴や文句もパレアナにかかれば、喜びに変換されてしまいます。
次第に人から人へ、口から口へ、この「喜び見つけ」は村中に伝わり、パレアナは意識していませんでしたが、真似をする人が増え、村は明るくなり、人々は幸せになっていきます。
しかしそんな中、パレアナ自身が交通事故に遭ってしまい歩けない体になります。
パレアナ本人にとって、「喜び見つけ」は難しくなります。
しかし、今度は精神的にパレアナに救われてきた人々が、反対にパレアナを励まそうとします。
その思いに触れたパレアナの心は直ちに明るさを取り戻します。
パレアナの明るさを取り戻す、この速さを思うとき、人間の日頃の「捉え方を変換する」練習が、いかにいざという時に力を発揮するものであるか、ということを強く感じました。
パレアナが叔母さんに送った手紙を読んで、涙が溢れてきました。
✒️あたし、歩けるようになりました。
今日は寝台から窓まですっかり歩きました。六歩です。
歩けるということは、なんてうれしいことでしょう。
(略)
どうしてみんなが泣いたのか、あたしにはわかりません。あたしは泣くどころか、歌いたいし、叫びたいし、バンザイを言いたいくらいでしたわ。
(略)
近いうちに帰れるそうです。
あたしここから家まで、ずうっと歩いていきたいくらいです。
もう一生涯、乗り物なんかほしいと思いません。
そのくらい歩くのがうれしいのです。
ああうれしい、なにもかもうれしくてたまりません。
ちょっとのあいだ、足をなくしたこともうれしいのです。
足がなくなってみなければ、歩ける足がですよ、足がどんなにありがたいかということはわかりませんもの。
明日は八歩歩きますの。
みなさんによろしく
愛のかたまりを皆さんへ、 パレアナより 🖊️
読書何度目?というほど繰り返し読んだこの本。
パレアナが、喜びに変換できるまでの時間のことを思いました。
いつもすぐに変換できるのではなく、その時その状況ごと、すぐできる場合と時間を要する場合とがある!との気づきが得られました。
長い期間が必要なとき、その間、心の中で何が起きているのだろうか。
目を閉じて思いを馳せてみました。
その時、浮かんできたものは、ある方の泣き顔でした。
その方は、自分と向き合って、
「何がしたいの?」
「どこへ行きたいと思っているの?」
「何を望んでいるの?」
とずっと自分の心に聞いてみたそうです。
楽しそうなものが色々浮かんでくるけれど、そのモノの輪郭は浮かんできても、中身は何もない・・・。
を繰り返していたそうです。
ある時、本当に自分が望んでいたものがわかったのですが、それはその人にとって、自分では持ちきれないほどの欲求でした。
「親に会いたい!」
「親と話がしたい!」
という思いだったのです。
その人もパレアナと同じく、若くして親を亡くしていました。
きっとこんなに明るくて朗らかなパレアナも、きっといっぱい涙を流してきたに違いありません。
またその人も誰にも言えない淋しさを胸に秘めながら、人前では明るく振る舞っているのかもしれません。
パレアナの中に「純粋さ」や「朗らかさ」や「お人よし」だけではなく、「強い意志」や「絶やさぬ努力」を見出すことができた今回の読書でした。
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