2024.11.6(水)
先日、解離性人格障害からくる鬱症状のZさんの18回目のカウンセリングがありました。
Zさんは、自分にとって大事な人に伝えたいことがありましたが、どうしても言えずにいました。
胸の中に閉じ込めてきたそのことを、勇気を出して伝えることができたそうです。
Zさんは話せて本当によかったという思いで喜びました。
そして今まで1人で抱えていたことが想像以上のエネルギーだったことに気づけた・・・
ということも語ってくださいました。
その日から数日経過していたこともあり、お会いした時には虚脱感に陥っている感じが見受けられました。
自分の中の感情を解放した時、
鉛のようなものが消え去り、心が軽くなったり元気になったりすることもあるでしょう。
しかし、長い間心の中で抑圧してきたものを解放した時、しばらくその解放感に馴染めず呆然としてしまうこともあるのではないか・・・と思いました。
カウンセリングの最後に、自分を歪めてしまったであろう存在への腹立たしさを、言葉だけではなく体で表現をしていただこうとしました(柔らかいものを叩く)が、強い抵抗感があり依然としてできない様子でした。
誰も見ていなくても、
自分1人の空間でも、
叩くという行為は叩かれた体験を思い起こし怖くなってしまう様です。
心と頭と体が一致するには、まだまだ何らかのためらいがある様子。
(心では怒りを感じていても、その感情は絶対に外には出してはいけない!
と頭が体に指示を出している)
一致できない何かがあるが自分1人で持ちきれない→しかし生きていかなければならない→他の人格さんが請け負ってくれる→そうすることで自分自身を守る→徐々に自分の身に起きていることが他人事のようになってくる→そうなればなるほど他の人格はパーソナリティーを強めていく
という回路がZさんの中につくられてしまっているかのようです。
それは私の想像をはるかに超えているということを知らされました。
人からされて嫌だったことがある。
そんな嫌な思いを他の人には決してしたくない、できない、という思いが強くなる。
しかしそんな時、気をつけなければならないことは、
感情を抑圧してしまうことではないでしょうか。
そんな時こそ自分を大事にしなければならない・・・。
でも・・・どうやって・・・・?
感情の流れをもう一度スローモーションで再現してみる。
人から傷つけられたときの自分の感覚を思いだす。
その感覚の部屋に入ってじっと味わってみる。
そうする時間を持つことで、怒りがどこから湧いてくるのかがはっきりわかってくる。
この「はっきり」した感じがとても重要なのでは?と思う。
悲しいから怒るんだ!
この順序が整理されてくると、怒りの前に受けた悲しみにフォーカスできるようになる。
悲しさと腹立たしさの感情は、スローモーションにして体験してみた時、
ほんのわずかのタイムラグがあって、2つがセットになっているとわかる。
怒られたという面だけ切り取ると、自分を脅してきた対象のことが怖くなる。
その人の前では自分を出してはいけないといつしか学んでしまう。
その学びが思い込みとなってしまうと、誰に対してもそうであるべきだと錯覚してしまい、自分の感情を閉じ込めてしまう。
思い込みを起こす前に、何度も何度も繰り返しスローモーション再生をしてみる。
自己物語に乱暴な展開を作らないことをまず初めに決意してみる。
ドとレの間にはドのシャープがあるように、
冬と春の間には三寒四温の時期があるように・・・。
怒られた、暴力を受けた→怖い!と感じる→心の中の「怖さ」の中にじっといてみる→悪いことをしていないのに(認識できないのに)怒鳴られる、叩かれるのは嫌だった!→誤解された、決めつけられた、ストレスをただただぶつけられた、話し合えば分かり合えるのに対話の力をちっとも信じない、私にその力(話せば理解することができる)がないと見下された→そんなの悲しいよ→泣きたいよ→こんな目に遭ったことが悔しい→だから腹が立っているんだ!
こんな風にスローモーションに感情の動きだけを追うと、悲しいから怒る、というストーリーがあることが見えてくる。
「人は自己物語を描けた時、トラウマから解放することができる」という糸川昌成氏の言葉を、あるカウンセラーさんからうかがったことがありましたが、私もそれを(自己物語を描くこと)Zさんと一緒にやっていきたいと思いました。
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Zさんの自己対話ノートを2冊預かりました。
ゆっくりページをめくりながら、Zさんの文を読んでいきました。
自分の心の中を、
ざっくりではなく、鋭くそして素直に表現されている変化に気づきました。
こんなことが書いてありました。
「まだまだ先が長いんだなって思った。
自分で変化を感じられるようになった。
友だちや中の子たち(自分の中の他の人格さんたちのことをZさんは中の子たちといいます)にも変わってきたって言ってもらえるようになった。
でもきっとスタートラインなんだろうな。
前に友だちに言われた。『これから長いマラソンを走るための注意を聞いてるんだ』って。
向き合うのもこわい。
現実知るのがこわい。
でもここまで来たらやらないと・・・。
逃げる選択肢はないんだもんね。」と。
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彼女が走るマラソンのゴールって何なのか正直なところ私にもわからないですが、
今この瞬間の彼女の隣を一緒に走ることなら私にもできるのでは?と思っています。
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